User:キリカ~metawiki/ウィキペディアと社会の入れ子構造

From Meta, a Wikimedia project coordination wiki

これはエッセイです。(初版) ウィキペディアには構造的な欠陥がいくつかあります。その一つが、この項目で紹介する問題です。この場合の入れ子構造とは、社会とウィキペディアの関係を示しています。

入れ子構造問題[edit]

ウィキペディアの標準空間の記事は、社会の外側にある情報を要求します。現在進行形で社会そのものと関連する情報は、情報自体が社会の影響を受けて変化してしまうので安定性がありません。だから社会を斜めから見た視点の記事が、ウィキペディアには要求されます。

反面、ウィキペディアは社会の外部に位置しようとします。なぜなら、社会の内部にいると社会で起こってる事象を、現象ごと取り込んでしまうからです。社会の内部にいる状態ですと、ウィキペディアが社会を論表する場となってしまうのです。

これは根本的な矛盾的症状をもたらす問題です。ウィキペディアは社会の外部にいる事を要求する、一方で、ウィキペディアは社会の外部情報を要求する。この要求がある領域で重なり合うと、ウィキペディア自体が、社会の外部としての役割を果たそうと、ウィキペディアが論考の場になります。これでは百科事典を作るという目的を欠損させてしまいます。本来ならば二次情報を収集するはずの百科事典に一次情報が投稿されてしまうのです。

この問題は日本語版のウィキペディアにおいて、非常に顕著に現れています。主にサブカルチャーやジャーゴンの分野が、この問題を直撃しており、未だに解決しておりません。とは言っても根本的な解決は不可能です。それでも軽減する事は可能と思われます。なお現在、軽減については起こそうとしてない様子です。

この問題を放置すると実害も及ぼします。実害の内容はリソースの消費が大きくなる事です。その結果、ウィキペディアにかかる負担も大きくなります。つまりコストパフォーマンスが悪いのです。


管理者は、扉の門番である[edit]

アカデミズムや論評の洗礼を受けておらず、著名性に疑問のある内容が、ウィキペディアに投稿される事があります。その為、中立的な観点検証可能性の確保が取れているのか怪しい記事が、いくつかあります。それはサブカルチャーの分野でしばしあります。こう言った怪しい記事は、削除依頼に出される事になります。

ここで入れ子構造問題の実体が浮き彫りになります。一定の知名度や認知度があることを理由に存続が認められる記事であっても、著名性や研究がまだ十分に行われていないことを理由に存続が認められない場合に、どう扱えば良いかが分からないのです。

もしかしたら削除が好ましいかも知れません。しかし社会で一定の認知がされているのであれば、削除の決断を踏み切るのが難しくなります。再度記事が投稿される可能性があるからです。あるいは存続が好ましいかも知れません。しかし存続させると現在進行形のテーマを扱う事となり、ウィキペディアが議論の場となってしまいます。

すなわち、社会とウィキペディアの間にある扉があるのです。そして管理者は、扉の門番としての役割も担っているのです。

削除の判断は「間違える」のを前提として扱うべきです。この場合の「間違える」と言うのは、時間軸の中で、どこを点と取るかにより、判断が変わることを指します。削除した時点では「百科事典として相応しくないこと」を理由に削除の決断を下します。これは判断として適切です。しかし時間が経過すれば「百科事典として相応しいこと」を理由に投稿される場面もあります。これも判断として適切です。

違う結論でも、時間点によっては適切な判断となるのです。しかし時間軸で見れば結論の違いから「間違ってる」判断となります。つまり管理者は時間の門番でもあるのです。

判断を正の形で誤ると、百科事典に相応しい項目が削除されてしまい。ウィキペディアにとって損失です。 判断を逆の形で誤ると、百科事典に相応しくない項目が、ウィキペディア内部に残ってしまい、リソースを大量に消費する魔獣に化けます。


百科事典とは[edit]

入れ子構造問題は、百科事典の本質にも及びます。二次情報を収集するのが百科事典です。しかし正確で中立的な一次情報が百科事典に投稿されたらどうでしょうか? 仮に一次情報であることを理由に削除の判断が下されたとします。しかし 情報は正しいのです。これはどう解釈すれば良いのでしょう? 正しい情報であっても一端は信頼の置ける書籍に掲載されてから、百科事典に載せると言う事でしょうか? なんとも奇妙な構図です。つまり百科事典は毒味が必要な書物なのですね。 紙の百科事典ではタイムラグが大きく、また編集者も限られていたので、この問題は、さして目立ちませんでした。ですが、場所がインターネットだと、時間差がないので、この問題が大変目立ちます。目立つだけでなく一次情報と二次情報の分別にかかる負担も大きくなります。


情報は、記録すると共に、伝達の性質も持つ[edit]

ウィキペディア自体が拡声器としての性質も持っている為、誤用であっても誤用を一般化させうる力を持っている点も考慮しなければなりません。これは「ゴキカブリ」を「ゴキブリ」と表記したことで、「ゴキブリ」が一般化した事と同じ課題です。

キリカ 12:08, 14 January 2007 (UTC)

入れ子構造問題を軽減する為の方針・案件[edit]