User:Masao/WhoRunsWikipedia

From Meta, a Wikimedia project coordination wiki
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以下の文章はAaron Swartzによるエッセイ「Who Runs Wikipedia?」[1]の日本語訳です。
誤訳等ありましたら、ノートページにてお知らせいただくか、そのまま編集して直していただければ幸いです。

Wikipediaを動かしているのは誰か?[edit]

先のWikimaniaでWikipediaに新機能をいくつか加える提案について話した。聴衆の大半はプログラマーで熱心なウィキペディアンだったので、すぐにそのアイデアがかかえる問題について話しはじめた。「XXみたいな悪いことは起きないかい?」「YYにならないようどう対処するの?」「本当にみんながZZしてくれると思うのかい?」 しばらく、こういった質問に答えようして、問題を解決する技術的な方策を説明していったけど、何回か質疑応答をくりかえした後、ついに私はこう言った:

まってよ。
もしも5年前にぼくがここに来て、いまから百科事典一式を誰でも編集できるWebページ群として作ろうと思うんだって言ったとしたら、君たちは沢山の反対ができただろうよ: 「荒らしだらけになっちゃうよ!」 「内容に信頼がおけないね!」 「誰もタダでそんなに働く人なんかいやしないよ!」
もちろん、その指摘は正当だったろうさ。その時点では、そういう批判は十分にリーズナブルな予想だったけど、今となってはジョークでしょ。だって、ちゃんと動いてきてるもんね。

こう答えた時点では、私はみんなの質問を黙らせたことができたことに満足したよ。だけど、あとでこの話をもうちょっと考えてみたんだ。なんで一体全体Wikipediaはうまくいってるんだ?

ソフトウェアで問題全部を解決できた理由は、プログラマーにそんなに先見の明があったっていう訳じゃないと思うし、運営する人々が不適切な行為が発生するのを避けるべく、明瞭なルールを作ってきたって訳でもないと思う。つまり、Wikipediaが始まった時にはプログラマーがいなかったことは分かっている(既成のウィキエンジンを使っていたからね)し、明瞭なルールも無かった(最初の主なルールの一つはen:Wikipedia:Ignore all rulesja:Wikipedia:ルールにこだわらない)だった)しね。

そう、Wikipediaがうまくいってる理由は、コミュニティの力だ。つまり、プロジェクトを自身のこととして切り回し、成功へと引っ張ってきた、そうやって集まってきた人々の一団なんだ。


Wikipediaをずっと荒らしてやろうとしている人たちだっている。ランダムな内容に記事を差し替えたりね。でも、それはうまくいかないんだ。その編集は数分のうちに差し戻される。いや数秒以内の時もある。でも、なぜなんだろう?これはマジックじゃない。これは信じがたいほど入れ込んでいる人たちがやっているんだ。彼らはコンピュータの前に座って、流れていく変更の様子を眺めているんだ。最近では、彼らは「Recent Changes patrol (『最近の更新』巡回部隊)」と呼ばれていて、荒らしなんかの悪意のある編集を戻したり、荒らしユーザをブロックしたりを数回のクリックだけでできるようにした特殊なソフトウェアを使っている。

なんでそんなことをしている人がいるんだい?これは特別脚光を浴びるような仕事じゃないし、給料をもらっているわけでもないし、誰か責任者からボランティアしてくれるよう頼まれたわけでもない。彼らは単に、Wikipediaへの責任感を感じていて、気に掛けているってだけの理由でやっていることなんだ。彼らは誰かにコンテンツが壊されると怒るんだ。

ブリタニカのことをこんな風に考えている人がいるなんて想像しづらいだろ。ブリタニカが大好きって人はいっぱいいるだろうけど、ブリタニカの編集部にお手伝いに現われる人がいるかい?想像しがたいよね。普通の人はブリタニカに責任感を感じたりしないだろ。それ用のプロがいるしね。


Wikipediaが誰でも編集できるサイトだっていうのはみんなが知っていることだ。アマガエルの記事が執筆されるのは、責任者がその記事が必要でそれに誰かを割り当てるからではない。執筆は単にどこかの誰かさんがやってきて、書き始めるだけだ。で、他のみんなが手伝い始めるってわけ。

でも、あまり知られていないことは、このサイトが誰でも動かせるものだっていうことだ。荒らしを止めるのはそれ用の責任者の役目じゃない。単に最初にやった人がやることなんだ。そして、これは荒らし対策だけじゃない。「挨拶係」は新しいユーザ全員に挨拶をしに行くし、「掃除部隊」は校正周りの作業をする。Wikipediaのルールは緩やかな合意で作られる。サーバ全体でさえ、おおまかにこの方法で動いている。つまり、ボランティアのシステム管理者の一団がIRCに常駐して、なにかれと目を配っている。実のところ、最近まで、ウィキメディア財団は雇用職員無しでWikipediaを運営していた。

これは相当に珍しいことで、表現のしようも無い。「民主制」と言いたがる人さえいるけど、悲しいかな、これは適切な表現ではない。Wikipediaには投票も無ければ、誰かを荒らし対応担当に選出する選挙も無い。まさに「Wikipedia」はなんでもそのままやってるんだ。誰かがそこに対応すべき荒らしがいるのを見つけたら、その仕事をこなすためにやってくる人がいるだけなんだ。


このWikipediaの方式は過激とも言えるほど変わっているので、これを失敗と言いたがる人もいる。もちろん、Wikipediaはだいたいのところ、このやり方で回っているんだけど、本当の問題がやってきたら、変えなければならないものもある。明らかな権威を持たねばならない人もいるし、重要な仕事については慎重に人を割り当てる必要がある。そして、その他の人は単なるボランティアであることを理解しなければならない。

でも、Wikipediaの開放性は誤りではない。これこそが成功の源だ。素晴しいコミュニティは、公式の指導者がその存在を知りもしないうちに、問題を解決している。さらに、そのボランティア精神は誰がどの職に就くかといった内輪揉めをほとんど解決してしまっている。その代わりとして、仕事は早いもの勝ちでやりたいものがやり、その人はたいていの場合、その仕事に興味がある人なので、うまくこなせる人がなるようである。

この道を外れたことにより、Wikipedia最大の問題がやってきている。つまり、数人のメンバーに公的な職と特定の仕事を与えたことだ。こういうことをすればいつでも、実際の仕事は遅延していくし、不必要なくだらない議論が幅をきかせてくる。でも、これはありがちな間違いだ。だから、何度も何度も同じことが繰り返しているんだ。


もちろん、この間違いが起きる原因はそれだけじゃない。この間違いこそが最もうまくいきそうに見えるっていうだけのことだ。最も怖いのは、みんなが権力を持ちたがって、それを手離したがらないってことだ。特に、単なる一プロジェクトがWikipediaとして巨大化し重要な存在になってきて、名誉や注目を欲しがる人たちが湧いてくる。そういったことが、「公式なXという職位」になりたがる欲求からさからえない、強力な誘惑があるんだ。「これはコミュニティのプロジェクトだ。僕は単なるコミュニティの一員だよ。」って言う代わりにね。

まさに、この謙虚な姿勢とは正反対の態度がずっと一般的に見られるものだ。プロジェクトに相当な時間をつぎこんできた人たちは、見返りを求めはじめるんだ。それで、自身の仕事に固執し、公式の職を得たがったり、特別の職階を求めるんだ。しまいには、仕事をみんなに割り当てていくことそのものが良い考えとは思えなくなってくるんじゃないかな?

そうなんだ、こういう傾向は明らかだ。権力があればあるだけ、人がいればいるだけ、問題の数は増えていく。単に間違いがいくつかあるってだけじゃない。これはシステム自体の傾向の問題なんだ。


僕自身、自分がこの病気にかかっていないなんて言うのは、ありえないだろう。ついに、僕自身が今現在、ウィキメディア財団の理事会の職に立候補しているんだから。でも、そんな僕でも自分の力を誤った方向に使っているんじゃないかって心配で、夜中に目が覚めることがあるよ。

システム自体が持つこういった傾向は、適切な地位に適切な人を選出する選挙を実施して、問題を解決してもらってる間に安心して眠りにつく、っていうだけでは解決できないだろう。もしもコミュニティに責任をあずける現在の体制を望むのであれば、そのために戦わなければならないことでしょう。僕がこのエッセイを書いているのは、皆さんにこのことが戦うに値することかについての理解を深めてもらうためなのです。そして、もし理事に選出されても、こうやって書き続ける予定です。

百科事典として成功するためにWikipediaがその執筆にボランティアの世界を必要としたのと同じくらい、組織としてのWikipediaの成功には、それを動かすボランティアのコミュニティが必要なんだ。逆に言うと、これは理事会内の仕事をオープンにして、コミュニティ全体に見せ、コミュニティがそれに関われるようにすることが必要だってことを意味している。でも、これも逆に言うと、コミュニティの反応・動きをオープンにして、より広い外の世界がこれに関われるようにするってことも意味しているんだ。今回の選挙で誰が選ばれるにせよ、僕たちみんながこの仕事に関わっていくことを望んでいる。