Talk:Universal Code of Conduct/Enforcement guidelines/Voting/ja

From Meta, a Wikimedia project coordination wiki

Hallo、from Japan. 批准に反対いたします。

管理者の負担増が取り沙汰されています。私は一利用者に過ぎず、そこは何とも言えません。 UCoC施工のガイドラインは強引です。が、私はむしろ、UCoCと、そのまわりの文言に疑問を感じます。例えば試行ガイドラインには『倫理的に』という言葉があります。倫理的とは、誰の、どこの倫理でしょう? 

U4C草稿の委員会設立に関しまして、下記の条件いくつかを満たす方が望ましいとのことですね。 例えば試行ガイドラインには『倫理的に』という言葉があります。倫理的は、どこの倫理でしょう? 

  •  方針の草稿作りの経験
  •  ウィキメディアのプロジェクト群で既存の規則や方針適用の経験
  •  オンラインでの共同作業の経験
  •  共感力
  •  国際的なチームで共同作業をした経験
  •  参加型の意思決定

上記のような活動ができない人物こそマイノリティではありませんか。 上記条件を満たす人物は、日本語Wikipediaにもおられることでしょうが、その場合、その方の価値観や判断能力は英語や欧米の価値観や判断基準を受け入れておられる可能性が高いと考えられます。 (日本語と英語は言語としてとてつもなく離れています。ドイツ人やスウェーデン人が英語を覚えるのとは訳が違います。日本人が、英語を覚えるのはものすごい労力が必要です。関係ありませんが、英語に比べて日本語のほうが良い点もあります。失読症が英語15%に比べ、5%と少ない点です)

また、UCoCの草稿の文言自体が、インドヨーロッパ語とキリスト教の価値が入りすぎているのではないかと思えます。 まず、自身の基準が普遍と考えることそれ自体がキリスト教的であり、世界中に布教するのもそうです。裁定委員会の公開書簡には、『上から与えてやる』感覚が滲み出ています。 (駐日ドイツ大使館や北欧のいくつかの国の大使館が、たとえば「差別は良くない」と、蛮族に対するようにツイッターで語りかけるのを何度も目撃いたしました)

そして、突然UCoCなるものができたのはなぜなのでしょう。 私は財団に寄付する企業から制定を要求されたのではないかと疑っています。 例えば、私の使っているMacには、初めからWikipediaが辞書と一緒に入っています。 私は、Wikipediaの記事執筆には、無言の前提条件があると考えています。「研究者の文言を適当に変えて、組み合わせろ」 研究者の努力を、ボランティアが献身的な努力をもってつぎはぎし、成り立ったものをWikimedia財団を通じて、Apple社だのGoogleだのが、顧客サービスとして使用しているのが現状に見えます。 同時に、非キリスト教徒者として、キリスト教的な倫理観を押し付けられることを非常に懸念しています。

同時に、UCoCが直接ターゲットにしているのは、差別が激しい社会にある小規模なコミュニティで、そのなかで少数民族や女性が記事を書くと、すぐに嫌がらせやストーキングに繋がるような集団なのだろうとも思います。 現在、日本でもウクライナの戦場の光景が飛び交っています。ただ、基本的に日本語Wikipediaでは、編集で死や凶悪な犯罪に繋がるような事態は考えづらく、想像もつかない利用者も多いでしょう。強引ではない方法で、私たちに、「こういう事態があるからUCoC を作りたい」と率直にお話しください。

意外なことかもしれませんが、日本人は率直さを好みます。 私の提案は以下のようなものです。

 # UCoCから冒頭の目標や倫理的な文言をすべて削り、暴力やストーキングの禁止のみにする。また、U4Cは、その国の法律上の手助けや下手をすれば亡命の手続きまでやらなければ意味がないのではないでしょうか。  # ガイドラインかUCoCを(試しに、たとえば)『日本語』で作成し、原本とする。(インドヨーロッパ語族の方は、ほんとうにご自分が多様な価値観をお持ちかチェックできるでしょう!)  # UCoCという略語がたいそう美学的に劣っている。 とりあえず以上です。ありがとうございました。 --Kizhiya (talk) 12:38, 20 March 2022 (UTC)[reply]